2019年5月放送のカンブリア宮殿に村上農園社長の村上清貴さんが出演します。とても凄い方なんですよ!
私達の生活に馴染みのある『ブロッコリースプラウト』や『豆苗』など、工場で栄養価の高い野菜を作り、最近年商100億円を突破した会社の経営者です。
昔O-157事件の風評被害で会社の売上が70%もダウンしたそうですが、そこからたった2年でV字回復!
村上農園に入社する前はリクルートに勤務していて、マーケティング企画に携わっていたそうです。そんな村上清貴社長が気になるので調べてみました。
今回は『村上清貴(村上農園社長)の経歴や職歴が凄い!年収も気になる!』をご紹介します。
村上清貴(村上農園社長)の経歴や職歴が凄い!
凄い経歴の持ち主ですが、単純に学歴などの話ではありません。上場していないので年収も公開されていませんが、村上社長の人生の経歴の凄さを分かって頂きたいです。
村上清貴さんプロフィール
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激動の職歴と経歴
村上清貴さんは大学卒業後、1983年にリクルートに入社します。法人営業を担当した後、1988年にリクルート映像に異動しました。
リクルート映像で営業課長として勤めた後、マーケティング企画課長として辣腕をふるわれたようですね。
1988年は戦後始まって以来、日本を揺るがしたリクルート事件が発覚した年です。政界・官界・経済界から逮捕者を出し、ついに時の竹下登内閣が総辞職という大事件でした。
村上社長は激動の時代を間近で見てきた時代の生き証人ですね。当時の会社の中は大変な状況であったことが推察されます。
その後、1993年に村上農園に入社しました。当時の村上農園は『カイワレ大根』をメイン商品として国内トップシェアを誇る企業でした。
しかし、1996年の大阪・堺市で起きたO-157(オー・157)の集団感染事件の感染源がカイワレ大根だとマスコミに騒がれ、村上農園は主力商品を売れなくなり甚大な被害を被りました。一気に売上が3割に減少したそうです。
90年代はまだ『O-157』の名前をこの事件で初めて知った人が殆ど・・・という時代でした。学校給食を食べた教職員・生徒を含む7,966人が感染した上、その家族など1,557人が2次感染を受けました。そして、当時小学生の女児3人が死亡してしまった重大な食中毒事件です。
結局カイワレ大根が感染源という説は事実無根でしたが、当時は研究が進んでいなかった為に酷い濡れ衣を着せられました。
2007年に代表取締役に就任。廃業寸前まで追い込まれた村上社長は『発芽野菜』の可能性を見出し、なんとたった2年で会社をV字回復させます!
その時に生まれたのが、『豆苗』や『ブロッコリースプラウト』なんですね。
日本を揺るがす大事件に2回も巻き込まれながら、己の企業理念を貫いた村上清貴さん。現在では業界初の年商100億円を突破して、2035年には年商1000億円達成を目標に掲げています。
村上清貴社長の年収も気になる!
村上農園ワールドトレードセンター
こんなにやり手の凄い方の年収は気になるのが人間の性ですが、先に述べたように上場している訳ではないので、ちゃんとしたデータはありません。
しかしながら、売り上げと社員数、設備投資などの経緯を見ると年収1億円でもなんらおかしくないと思います。
むしろ、個人的にはそのくらい貰って欲しい!と考える程です。
村上社長の企業理念の先には地球全体の未来が掛かっています。食料問題を解決出来なければ、私たちの子孫は全滅してしまいます。
これからの『AI農業』の行く末を見守っていきたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!