南田洋子さんと長門裕之さんの親族に生まれたのにアームレスリングで世界王者になった美女がいます。
『激レアさんを連れてきた』に出演して話題の山田よう子さんを調査してみました。
中学生時代にグレて更生施設に入り、その後はチーマーをして渋谷を仕切っていたという異色のアスリートです。
今回は『山田よう子(アームレスリング)の経歴や職歴は?年収も気になる!』をご紹介します。
山田よう子の経歴や職歴は?
プロフィール
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経歴・職歴
山田よう子さんは、南田洋子さんのいとこの娘さんです。小学校6年生でモデルをするほど可愛くて有名でした。
当時同級生の男の子たちが、洋子さんの髪の毛や爪を集めることがブームになるくらい人気があったそうです。
身体能力が高く、1日300回の拳建をして体を鍛えていた洋子さんは、女の子でありながら相撲大会に出て東京都の中央区を制覇してしまいます。
中学生になってからは、あまりに目立ったせいか同級生たちに無視をされ不登校になってしまいました。
でも引きこもりにはならずに、外に出ては絡んできた人間とケンカして倒すという生活を続けていました。
その後グレてしまった洋子さんは24時間監視される全寮制の更生施設に入れられてしまいます。
しかも、その時は中学2年生で、付き合っていた彼氏のゴウくんとともに施設を脱出するという愛の逃避行をやってのけました。
施設を出た後は南田洋子さんを頼り女優の道へ進もうとします。ドラマに出演したり順調な滑り出しでしたが、ある時舞台をドタキャンしてしまいます。
それから南田洋子さんから連絡が来ても電話が取れなくなり、女優の道を断念。今度は渋谷でチーマーをやり出しました。
チーマー生活を6年も続けた頃、両親が離婚して大好きだった父親に会えなくなります。
そろそろ変わりたいと思っていた洋子さんは、格闘技が好きだった父親が見に来てくれるのではないかと思い、自分も始めてみようと思い立ちました。
そして、居酒屋でタンクトップのマッチョマンとの出会いをきっかけにアームレスリングを始めます。でも、最初はほとんど練習もせず大会に出場しました。
しかし、たった2ヶ月で都大会で2位、2ヶ月後の全日本大会で2位、またその2ヶ月後の全国大会で2位になります。
この結果に満足できなかった洋子さんはここから真剣に訓練を始めました。
そして2002年に全日本大会で初優勝します。それから3年連続で優勝した後、世界大会でも優勝。 2002年から2014年まで全日本アームレスリング大会で日本最多の13連覇という偉業を成し遂げました。
その間に写真集を出したり、2009年には上腕二頭筋を切っていながら試合をして優勝もしています。総合格闘技やプロレスにも挑戦して、好成績を残しました。
よう子さんの活躍を聞いて、ずっと会えていなかった南田洋子さんから連絡が来て、「よくがんばった」と褒めてもらえたそうです。
その後、結婚後の2018年に復帰して、全日本でまた優勝しています。
写真集画像
山田よう子の年収も気になる!
こちらはデータが無いので想像するしかありません。
日本アームレスリング連盟はスポンサーを募っているプロの団体なので、成績に準じて収入があるようですが・・・。
しかも山田よう子さんは前人未到の戦績の持ち主なので、大会賞金を含め連盟の中でもかなり良い収入ではないかと予想しています。
まとめ
2013年に元アームレスリング世界王者の旦那さんと結婚をして今は4人のお母さんです。
40代の今でもとても美しい方なので、女優の道を真剣に歩んでいれば今頃有名になっていたかもしれませんね。
『激レアさんを連れてきた』では若林さんがゲストにラベリングをするのが恒例です。
この時は『強すぎて後半何を言っているかわからない人』でした(笑)
今回は『山田よう子(アームレスリング)の経歴や職歴は?年収も気になる!』をご紹介しました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!