「いい仕事してますね~」で有名な、古美術鑑定家の中島誠之助さんについて調べてみました。『開運!なんでも鑑定団』で放送開始時から出演している、軽快で優しい語り口の先生です。
有名でみんなが知っている方ですが、どこで古美術を勉強したのか?店舗は営業しているんだろうか?高額な年収なんだろうか?と気になりました。
今回は『中島誠之助(古美術鑑定家)の経歴や学歴は?年収や収入も気になる!』をご紹介します。
中島誠之助(古美術鑑定家)の経歴や学歴は?
プロフィール
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経歴
東京の青山で生まれた中島誠之助さんは、1歳の時にご両親が病死してしまいました。
神奈川県鵜沼の親族に引き取られるも、その親族の家業が傾いて東京都二子玉川に引っ越します。
9歳の時に骨董商を営んでいた伯父に引き取られて古美術に触れ、現在の中島誠之助さんが生まれるきっかけになりました。
その伯父さんは、自分の子供に経営が難しい骨董商を継がせたくなく、店の小僧にする事を条件に中島さんを引き取ったといいます。
大学を卒業した中島さんはすぐに骨董商の道を歩むことを拒んでマグロ漁船に乗り込みました!世界旅行をするためにお金を稼ぎに行き、70万円を貰ったそうです。
因みにそれは1960年頃と思われ、その当時の世界旅行は今の様に簡単ではありませんでした。
お金の価値は現在の約2倍、物価は約4.2倍でした!計算すると70万円×2=140万円になりますが、価値観としては280万円位の感覚があったと思います。
それを飲み代に使ったと言うのですから豪快な方ですね!
そして従兄弟たちと折り合いが悪かった中島さんは、伯父さんが亡くなった後に独立します。
1976年、東京南青山に古伊万里染付の専門店を開店しました。その名も『からくさ』。
1979年、現在でも広く知られる『骨董通り』の元になった『南青山骨董通り』の作詞を担当しました。
1980年、作曲飯田次郎・歌真咲みどりでキングレコードからリリースされました。今でも講演会で『骨董通り』のお話はよくされるようです。
1994年、テレビ東京『開運!なんでも鑑定団』にレギュラー出演をして大人気になりました。
1996年、「いい仕事してますね~」の決まり文句が『ゆうもあ大賞』を受賞しました。
2000年、青山の自身の店『からくさ』を閉店しています。
娘さんで陶磁研究家の森由美さんは、東京都渋谷区松濤の戸栗美術館の評議員を務めています。女優の浅香光代さんは血の繋がらない親類です。
俳句も相当の才能の持ち主のようで、俳号(閑弟子)雅号(独翁)という名前を貰っています。
学歴
東京の芝高等学校を卒業して、日本大学農獣医学部水産学科(現:生物資源科学部)に進学しました。
獣医学士の学位を持つ中島誠之助さんは、子供の為に川で捕まえた蟹を17年も飼育して専門家に論文を頼まれた事があるそうです!
何に対しても一生懸命勉強される方のようですね。
中島誠之助の年収や収入も気になる!
年収・収入
お金に関しては全く情報が公開されていませんが、中島さんは現在精力的に講演活動をされています。
ご自身の執筆された本も多数出版していますし、エッセイも書いています。
何より美術品の鑑定家としてこれだけ有名だと、古伊万里の金額は中島さんの一言で相場が決まると言っても過言ではありません。
2000年に『からくさ』を閉店している事も余裕の証だと思います。
講演講師が1回30万円としても1週間に1回で年間約1440万円。
そこを踏まえてその他の収入を足せば・・・年収は3000万円を下らないと予想します。
中島誠之助の執筆本
たくさん書かれていますね!その他にもドラマに単発で出演したり、CMに出たりと大忙しですね!
- 『骨董掘り出し人生 (朝日新書 80)』(朝日新聞社)
- 『やきもの鑑定五十年』(小学館)
- 『ニセモノ師たち (講談社文庫)』(講談社)
- 『山が家族を育ててくれた―中島誠之助ファミリ…』(山と溪谷社)
- 『誠之助の「グルメ鑑定帳」―全国「いい仕事」…』(日本経済新聞社)
- 『骨董屋からくさ主人』(実業之日本社)
- 『中国古陶磁入門』(平凡社)
- 『暮らしの骨董入門 (淡交ムック)』(淡交社)
- 『南青山骨董通り (中公文庫)』(中央公論社)
まとめ
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数々の不運と苦労を物ともせず、果敢に古美術の世界に貢献して来た中島誠之助さんはやはり凄い方でした!
個人的には5000万でも1億でも稼いでいて欲しいです。
これからも注目していきたいと思います!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!