ふ竹野浩樹さんスーパーサミットの竹野浩樹社長がカンブリア宮殿に出演しました。
現在スーパー業界は苦境に立たされています。それは、コンビニ、ドラッグストアなどが食品販売に力を入れているからです。
ネット販売のような便利なシステムもある今の世の中で、既存店の売り上げと客数を伸ばし2年連続日本一になったスーパーがサミットです。
その業績が、2016年に社長就任したばかりの竹野浩樹さんの手腕によるものだと知り、経歴や年収を調べてみました。
住友傘下の非上場会社なので具体的な数字は公表されていませんが、竹野社長の経歴とともに考察してみたいと思います。
今回は『竹野浩樹(サミット社長)の経歴や職歴は?年収・収入も気になる!』をご紹介します。
竹野浩樹(サミット社長)の経歴や職歴は?
経歴や年収は元々住友商事にいた方なので、華々しいです。
ただ、オーナー社長ではないので会社の規模の割には(首都圏110店舗以上:年商約2875億) 、予想外に少ないような気がします。
『サミットが日本のスーパーマーケットを楽しくする』と掲げる竹野さんについて、これから1つずつ解説していきます。
竹野浩樹さんプロフィール
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経歴・職歴
1989年に慶應義塾大学を卒業した竹野さんは住友商事に入社します。その1年目からサミットの経営幹部会に参加していたそうです。
そんな竹野さんは、大学時代はというと・・・旅行資金を稼ぐため家庭教師と神宮球場のビール売りのバイトをしていました。
ビール販売は重いタンクを背負いながら広い球場を売り歩く過酷な仕事でしたが、売り上げ1番の人間がゼッケン1番をつけれるという明確な目標がありました。
少ない労力で最大の利益を得るためにどうしたらいいかを考え、「お客様との信頼関係、絆、目配りが大事」と気づいた竹野さんはその日からずっと 1番の売り上げだったそうです。
1日10ドルの予算でバックパッカーとしてアメリカ、アフリカ、ヨーロッパを回った経験はその後の竹野さんの価値観を変え、仕事にも大いに役に立ったとか。
入社4年目に欧米型ドラッグストアのトモズの創業に携わり、その後ニューヨークに駐在してマミーマートに出向します。
このニューヨーク駐在中にユダヤ人経営者に言われたことがあります。
「相手にビジネスをしたいと思わせるためには、それ相応の格好をしなくてはいけない。」
それ以来、時計と靴にはこだわって、靴はイギリスのブランド「エドワード・グリーン」しか履かないそうです。
2010年、ブランド事業部長を経て2015年よりサミット株式会社の取締役常務執行役員、 2016年6月に社長に就任しました。
社長のとある1日
6:00 起床8:20 出社
9:00 始業
9:30〜12:00 経営幹部会
12:00〜13:00 ランチ
13:00〜15:00 開発会議(毎月曜)
15:00〜15:30 お客様来社
17:00〜17:30 お客様来社
18:00〜21:00 会食転載元:Forbes
竹野浩樹社長の年収・収入も気になる!
先に説明した通り、詳しい年収や収入は公表されていません。
でも、サミットの従業員の平均年収は業界の中ではダントツに高いそうです。
若い時に収入が多く、年齢ベースで年収が上がっていくという幅が他社より少ないようですね。
もちろん現代の課題である若い働き手を確保すると言う意味合いもあると思いますが、30歳を過ぎると実力主義で給料が決まるみたいです。
店長クラスで年収800万円、ブロックマネージャーになると年収1000万円を超えるとか!
これは働き甲斐がありますね。竹野社長は親会社の住友商事から来た方で、社長就任時の年齢は若干51歳です。
そのまま住友商事にいれば、1番年収の高くなる年齢だったでしょう。ちなみに住友商事の50歳から54歳の平均年収は約1500万円です。
1番働き盛りの時に出向先の社長になったのですから、現在の年収は3000万円〜3500万円はあると予想します。
まとめ
- 竹野さんは慶応出のさわやかイケメン社長
- 学生時代はバックパッカーで世界一周
- 日々の目標は「悲観的に準備して、楽観的に対処する」
- ファッションのこだわりは靴と時計
- 年収予想は3000万円〜3500万円
『社長のとある1日』にも書きましたが、肉体的にも精神的にもタフでなければ、厳しい業界の中で日本一のスーパーは作れませんね。
今はネットスーパーとよく比較されるそうですが、竹野社長はネットスーパーにはできないリアル店舗の戦い方があると言い切ります。
ぜひこれからも『楽しいスーパーマーケット』を目指して、消費者がワクワクする店舗作りをしていって頂きたいです!
今回は『竹野浩樹(サミット社長)の経歴や職歴は?年収・収入も気になる!』をご紹介しました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!