モスバーガーの代表取締役社長の中村栄輔さんについて興味がありませんか?テレビ東京の『未来世紀ジパング』でインドネシア市場に挑戦する外食産業として取り上げられました。
中村社長は2016年に2代目社長の櫻田厚さんから3代目を引き継いでいます。ずっと法務畑を歩いていた中村さんが、現場の経験なしに社長に就任しました。どんな経歴の方なんだろうと興味が湧きます。
モスバーガーといえば、マクドナルドとは対照的な高級本物路線の一大ブランドです。1部上場企業の社長の年収はどんなに高いのかと思い調べたら、意外に低そうで驚きました。
その理由を1つづつ紐解いていきたいと思います。
今回は『中村栄輔(モスバーガー社長)の経歴・職歴や年収が気になる!』をご紹介します。
中村栄輔(モスバーガー社長)の経歴・職歴
中村社長は中々面白い経歴の持ち主です。モス・フードサービスは1部上場企業ですが、意外な事に社長の年収は思う程高くないように感じます。
上場企業の経営者の中でも年収1億円を超える人は、全3000社以上中800社(800人)はいないと思われます。
中村社長の年収は5000万円以下かもしれません。決算書を見てもはっきりと表示されていないので予想です。まずは、法務畑から3代目社長に就任した中村栄輔さんのプロフィールをご覧ください。
中村栄輔社長のプロフィール
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経歴・職歴
意外にも中村社長は、子供の頃近所でウナギやフナを釣って遊ぶ典型的な農村の少年だったようです。
父親は池坊(生け花)の師範。忙しい時期は日本各地飛び回り、主に京都や海外で過ごすことが多く、福岡の実家に帰って来ることはお盆と正月だけだったとか。
子供時代の中村社長は寂しかったでしょうね。でも、中村社長自身も生け花を大学時代まで習っていました。
小学校でソフトボール、中学校で野球、高校でサッカーと、中々のスポーツ少年でした。
熊本マリスト学園はキリスト教の全寮制の高校です。高校時代の寮生活で組織の人間関係を学んだと言っています。そして、この経験をした事で理不尽な事に直面してもストレスに異常に強くなったとも・・・。
祖父の入院先の医師に憧れて医学部を目指しましたが、理数系の成績が落ちて断念しました。医師を諦めた後は、弁護士を目指して中央大学に入学するも司法試験に受かることなく挫折します。
上京して初めて食べたモスバーガーの美味しさに感激して1988年にモスフードサービスに入社。たった7年後に部長職に就き、ここから目まぐるしく階段を駆け上がります。
- 1995年法務部長
- 1997年社長室長
- 2001年店舗開発本部長
- 2005年執行役員営業企画本部長
- 2008年執行役員・モスフードサービス関西社長
- 2010年取締役執行役員開発本部長
- 2012年国内モスバーガー事業営業本部長
- 2014年常務取締役事業統括執行役員
- 2016年6月28日社長就任
創業家の櫻田家以外の血筋で初の18年振りの社長交代でした。因みに、創業者は櫻田慧(さとし)氏、2代目を引き継いだのは甥の櫻田厚氏です。初代櫻田慧さんの急逝でドタバタ劇があったのですが、それはまた別の機会に・・・。
2代目の櫻田厚さんによると、中村栄輔さんはとても理論的で左脳派だそうです。自分とは逆のタイプの人間に跡を継がせたかったようです。今までとは違うモスバーガーの展開が楽しみですね!
中村栄輔(モスバーガー社長)の年収が気になる!
モスフードサービスの取締役役員は中村社長を含め8人います。報酬総額(平成30年3月決算参照)は2億1千9百万円。社長が一番多いとしても、8人いたら中村さんの年収は5000万円いかないのでは・・・と考える理由がそこにあります。
でも自社株を8000株所有している様なので、老後は安心じゃないでしょうか?
上場企業といっても業種によって利益率は様々です。みんながみんな、何億円も貰っている訳じゃありません。モスの決算書を見ましたが、原価率がとても高くて驚きました。
なんと5割以上です!外食産業でこの数字は凄いですね。質に拘っているのが分かります。ただ、フランチャイズだから出来る事だと思いますが・・・。
まとめ
- 中村社長は田舎の元気なスポーツ大好き少年だった
- 医師を目指して挫折、弁護士を目指して挫折
- 理論的でストレスに強い性格
- 早いスピード出世
- 創業家以外の初の社長就任
最近は株価が急落していますが、フランチャイズの命題である加盟店オーナーの世代交代やお酒を出す店舗の展開。
そして、日本生まれのモスバーガーが海外での新しいチャレンジに是非成功してもらいたいと強く思います。
今回は『中村栄輔(モスバーガー社長)の経歴・職歴や年収が気になる!』をご紹介しました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!