2019年8月25日でデビュー40周年を迎えたChage&Askaの『ASKA』が、デュオから脱退する事が発表されました!
事務所からの投稿と、本人の公式ブログでASKAさんの現在の気持ちが綴られています。
デビュー以来、数々の偉業を達成して国民的歌手になったASKAさんですが、ここまでの道のりは色々な事がありました。
自身のヒット曲はもちろん、光GENJIに提供したシングル「STAR LIGHT」・「ガラスの十代」・「パラダイス銀河」の大ヒットで、シンガーソングライターとしての地位も確立しました。
脱退についてChageさんは納得していない様ですが、ASKAさんのブログから現在の率直な気持ちと理由を考察していきたいと思います。
今回は『ASKAがチャゲ&アスカを脱退!その理由と真相のブログ全文!』をご紹介します。
ASKAがチャゲ&アスカを脱退!
突然入った速報に驚いた方がたくさんいると思いますが、『チャゲアス』は1979年『ひとり咲き』でデビューして一気に注目されました。
ASKAさんの圧倒的な声量と、目をつぶりながら熱唱する姿がすぐに思い出されます。
翌年には『万里の河』がすぐに爆発的ヒットを記録して、トップスターの仲間入りを果たします。
印象深いのは『SAY YES』と『YAH YAH YAH』ですよね?
『SAY YES』は武田鉄矢さんと浅野温子さんの『101回目のプロポーズ』の主題歌。
『YAH YAH YAH』は織田裕二さんと石黒賢さんの『振り返れば奴がいる』の主題歌。
こうして見ると懐かしくて、時間が経っても廃れない名曲を数多く生み出してきたチャゲアス。
2009年に活動休止して、2013年の再始動スペシャルライブの前に、ASKAさんが一過性脳虚血症の疑いで静養する事が決まり、そのまま復活ライブは観れないままでした。
2014年にはASKAさんが、覚せい剤取締法違反(使用)の罪で逮捕・起訴されて、活動を自粛。
2016年に2度目の覚せい剤取締法違反(使用)の容疑で逮捕されるも、この時は本人の尿であることが立証できず不起訴になりました。
Chageさんとは長い間弁護士を通してしか話していない様で、今回の脱退はASKAさん側のスタッフ間で相談された結果の様です。
現在のASKAさんの心境や脱退の理由・真相を、公式ブログの全文から見て行きましょう。
ASKAの脱退の理由と真相のブログ全文!
ファンにとっては残念な結果となりましたが、まずはASKAさんのブログを読んでみましょう。
ASKA burnishstone’s diaryより
本日、「デビュー40周年」となります。
その「デビュー40周年」をもちまして、
私、「ASKA」は、「CHAGE and ASKA」から、脱退を表明いたします。一部の音楽業界の方々、そして我々をよく知る仲間たちには、
すでに知られていた事実だったかと思います。2009年2月、私たち「CHAGEand ASKA」は「無期限活動停止」を発表いたしました。
「解散」を決意した私が、当時のマネージメント会社から、半ば、説得されるような形になり「無期限活動停止」となりました。「解散」にしても「無期限活動停止」にしても、
そう決断しなくてはならなくなった「理由」と、いうものがあります。しかし、その「理由」は、片方だけが語ることではありません。
「もっと本音で、心から語り合うことができてたら」と思わざるを得ません。
私は社会から痛烈に非難を浴びる事件を起こしてしまいましたので、
本日の発表が、全て、それに結びつけられる立場にあります。それでも構わないと思っています。
私が多くを語ってはならない。私を応援してくださる会員「Fellows」の方々には、
昨夜、すでにお伝えしてあります。「Fellows」には、業界関係者の方々もおられます。
本日、この時間まで「発表を控えてください」という約束を守っていただきましたことを、深く感謝いたします。私たち二人の間に「奇聞」となるような話はありません。
すっかり、環境が変わってしまった。
それにより、音楽活動が変色してしまいました。世の中へは、これを理由にすることが、いちばん綺麗でしょうね。
私は、今後の彼の活動を、嘘偽りなく応援します。
彼にも、同じような気持ちを持って欲しいかな。中国の諺(ことわざ)に、
「長い旅をする二人には、やがて、いつか分かれ道が訪れる」
と、いうのがあります。
また、武士道には、
「守破離(しゅはり)」
と、いう言葉があります。
これは、師に教えを被(こうむ)る弟子が、独り立ちをするときに使います。
「守」
師の教えを守る「破」
教えにより身についた基となるものからの脱皮。つまり、己を見出すために殻を破る。「離」
師の元を離れ、我の進む道を行く。私たちは「自分流」で、やってきましたので、
明確に「師」となるものはありませんが、
お互いが「CHAGE and ASKA」という強靭な傘の柄を掴みながら歩いてきました。その活動による「気づき」がたくさんありました。
「教え」による「気づき」ではなく、
「気づき」が「教え」になったと言えるかもしれません。そんな「教え」から離れて、個の道を行く時がきたのだと思っています。
今回の「脱退」を感じ取った彼から、彼の弁護士を通じて、
「できれば、ふたりで会いたい」
と、連絡がありました。
そうなんだ。ずっとそうだった・・・。
そんな大事な言葉さえ弁護士を通して伝えてきた・・・。私の時間は、彼が思う時間よりも早く進んでいます。
この年齢になると、「時間は過ぎてゆく」ではなく「時間は消えてゆく」ですからね。もう「脱退」のレールを敷いて、私たちは随分遠くを走っています。
今ここで立ち止まれば、「新たな出会いに」に、大きな迷惑をかけてしまうことになる。
お伝えいたします「話」が、長くなりますと、
ただの「能書き」になってしまいますね。
理由は私たち二人だけが知っていればいい。
最後に、私は、
「守破離」の、後に「環」をつけていたいと思っています。「守破離環」
いつか、一回りして、
「あの時のお前は大嫌いだった」
と、笑いながら話せる日が来ればいい。
相棒は、まだ「解散」を受け入れていません。
ましてや、この「脱退」も受け入れられないでしょう。私にも受け入れられないことがあります。
「『CHAGEand ASKA』であれば、永遠にソロ活動でいい」
これは「解散」と、同じです。
「CHAGEand ASKA」の再始動を、ひたすら待ってくれている多くのファンの方々の気持ちを前にして、私には、それはできません。
手を替え、品を替えで、ただ延命するより、いっそ解体して、
新しく積み上げることの方が建設的だと思うのです。手を繋ぎ合った複合体は、どれだけ長く手を繋いでいられるかが重要ではありません。
手を繋いだ時に、何ができるかだと思うのです。
何もできない複合体であるならば、複合体の意味がありません。私は、相棒の「電話番号」も「メールアドレス」も知りません。
彼の弁護士を通してしか、連絡の方法がありません。もちろん共通の友人をたどれば、連絡することは可能でしょう。
しかし、それは違う。本人の了解を得ずして、連絡はできません。
振り返れば、「CHAGE and ASKA」は、40年の活動の中で、
誰にもできなかったことをやってきました。
これは、我らの勲章です。私は、その勲章を首から外し、壁にかけ、
今後の音楽人生を歩んでいきたいと思っています。その上で、お伝えしたいことは、
「オレは、別にアイツが嫌いなわけではないよ」
です。
長い文章になってしまいました。
私「ASKA」は、「2019/8/25 12:07」をもちまして、
活動40周年となります本日、「CHAGE and ASKA」からの「脱退」を表明いたします。長文、お付き合いくださいましたことを感謝いたします。
ありがとうございました。ASKA(2019/8/25 12:07)
Chageへ
ASKAさん個人としての想いが綴られていますが、これを読むとChageさんと相談していない様なので、これからまた何か起こりそうですね。
おそらく、ASKAさんの事件前から合わない事もあったのでしょうが、覚せい剤事件をきっかけに2人の仲はこじれたままだったんですね。
40年も・・・実際には活動30年ですが、これだけ長い時間を共にしてきた2人が何の直接の話し合いもなく、このASKAさんの一方的に見える脱退は、いかがなものなんでしょう?
寂しいかぎりですね。
おわりに
ASKAさんは2016年の活動自粛の期間に、12万字もの長文ブログを公開して、数日で500万PVもアクセスがありました。
そのブログは翌年に加筆修正されて、『700番 第一巻』として書籍化されています。
今回もかなり長めのメッセージでしたが、「オレは、別にアイツが嫌いなわけではないよ」との事なので、ぜひChageさんも納得できる形にして欲しいですね!
今回は『ASKAがチャゲ&アスカを脱退!その理由と真相のブログ全文!』をご紹介しました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!